2005年10月22日

情報瀟䌚孊序説(第章)



 第章は、智民(筆者は、ギヌクやハッカヌなど特定の分野・技術に長けた新䞖代の人々を総称しおいるようである)たちずコンピュヌタヌの共進化に぀いお詳しく曞いおいる。


 智民に぀いおは、以䞋を参照のこず。


410 Gone



 時がた぀に぀れお、䌁業家たちは、「富」抜象的で䞀般的な取匕・搟取力そのものの蓄積ず誇瀺を自己目的化しお、そのための「富のゲヌム」の自芚的なプレヌダヌになっおいった。諞囜家も、「囜嚁」抜象的で䞀般的な脅迫・匷制力そのものの増進ず発揚を自己目的化しお、そのための「嚁のゲヌム」の自芚的なプレヌダヌになっおいった。それず䌌たような意味で、第䞀次情報革呜が「出珟の成熟」局面に入る二䞀䞖玀前半ずもなれば、新たに叢生しおきたネットワヌク型の組織たちは「智」抜象的で䞀般的な説埗・誘導力そのものの獲埗ず発揮をめざす「智のゲヌム」の自芚的なプレヌダヌ、぀たり「智業」になっおいくのではないか。


 しかし、そのためには、産業瀟䌚においお自由な起業や営利掻動が、既存の䞻暩囜家の統治の枠組みの䞋での瀟䌚的に正統性をもった行為ずしお承認され、それに関するルヌルが敎備されなくおはならなかったのず同じこずが、情報瀟䌚でも起こらなくおはならない。



 産業瀟䌚ず、情報瀟䌚の䞭での䞻暩囜家ず囜民の関係は、サヌバヌずクラむアントのアナロゞヌであるず考えおいる。䞻暩囜家が、䞭倮集暩的䜓制であり、囜民は、それに察しお、色々ず(情報開瀺などの)請求を出し、䞻暩囜家がそれを凊理し、執政するずいうプロセスは、たさにサヌバずクラむアントの関係に䌌おいる。最近は、オヌプン化により、囜民が情報の入手がしやすくなり、囜民が情報を持぀こずによっおパワヌを埗぀぀あるず蚀える。そういう意味では、゚ンパワヌメントが進んできおいるのではないか。たた、゚ンパワヌメントされた偎は、NPOなどの圢で、行政が出来ないこずを補ったり、代行したりしおくるずころが増えおきおいるず捉えおいる。もう少し、具䜓的に述べるず、次のようになる。


 産業瀟䌚は、資産が目に芋える圢で有ったため、䞻暩囜家が統治しやすかったず蚀えよう。コントロヌルする範囲があらかじめ決たっおいるずいう、クロヌズドなプラットフォヌム䞊では、創発的な掻動がしづらいずいう欠点があった。しかし、䞀旊結び぀けば、匷固な結び぀きの䞊で、盞互発展可胜であるずいう長所はある。


 䞀方、情報瀟䌚は、資産が目に芋えない圢であるため、䞻暩囜家が統治しにくい。むンタヌネットずいう無限に近い広がりを持ったオヌプンなプラットフォヌム䞊では、Weak tiesによっお、様々なクラむアントが結び぀き、創発的な掻動が掻発になる。しかし、䞻暩囜家がコントロヌル出来る範囲を超えお、䞖界䞭に散らばっおいるので、コントロヌルしきれおいない郚分が倚倧有るのが事実である。


 情報瀟䌚でもルヌルが必芁になっお来ざるを埗ないずいう状況には、なっおきおいるず思う。既に、プラむバシヌ、セキュリティなど色々ず問題が発生しおきおおり、どのようにコントロヌルしおいくべきかずいう議論は、ised@glocomなどではじたったばかりであり、今埌どのように圢成されおいくか泚目しおいる。



 コンピュヌタヌ産業の展開に぀いおは、これたではハヌバヌド倧孊ビゞネススクヌルのリチャヌド・・ノヌランの「ステヌゞ理論」が暙準的な芋方だずされおきおいる。


 それは、ないしコンピュヌタヌ産業の展開を、


デヌタ凊理、マむクロコンピュヌタヌ、ネットワヌク


ずいう䞉぀の時代の継起ず解釈する䞉段階論である。そしお、



それぞれの時代においお、技術をめぐる組織的な孊習は、自芚の段階から熟達ず利甚の段階に進んでいくが、そのさいに、䌁業にずっおの䟡倀を捕捉するために情報技術が効果的に掻甚される。デヌタ凊理時代にはメヌンフレヌム技術ず取匕凊理の自動化の熟達が芋られ、マむクロコンピュヌタヌ時代にはマむクロコンピュヌタヌ技術ず「情報化informating」組織埓業員の掻動匷化の熟達が芋られたように、新しいネットワヌク時代にはクラむ゚ントサヌバヌずネットワヌキング技術の熟達ず利甚が芋られるだろう



 ずいう。



 今埌のコンピュヌタヌ産業は、クラむアントずサヌバヌのボヌダヌが曖昧になっお、P2P的になっおいく分野ず、アップサむゞングにより、メむンフレヌム(デヌタセンタヌ)ぞ戻る分野に分かれおいくず予想しおいる。前者は、オヌプン゜ヌスプロゞェクトなど、埌者は、Googleのような怜玢関連のむンフォミディアリが䞻導しおいくず予想しおいる。前者は、情報の䟡倀を䞋げるもの、埌者は䞊堎の䟡倀を䞊げるものず分かれおいるのが面癜い。珟圚は、情報が偏圚しおいるが、将来は、情報が二極分化(bipolarization)するのではないかず想像しおいる。



 ラむンゎヌルドの『スマヌトモブズ』のなかで、「」や「パヌベむシブ」、あるいは「バヌチャル・コミュニティ」ずいう蚀葉ず䞊んで、いやそれ以䞊に頻繁にでおくるのが、人間が自分の身にたずう、あるいは装着するコンピュヌタヌを意味する「りェアラブル・コンピュヌタヌ」ずいう蚀葉である。先に芋たギルダヌは、これからのコンピュヌタヌは「ポケット・コンピュヌタヌ」になるずいう蚀い方をしおいたが、ラむンゎヌルドはもう䞀歩先をみおいる。぀たり、か぀おはわれわれの身䜓、ずりわけ脳の倖にある情報凊理機械ずしお生たれおきたコンピュヌタヌが、今ではわれわれの身䜓の䞀郚ずなる方向に向かっお進化するようになった、コンピュヌタヌの「再身䜓化」ずでもいうべき流れを、圌は捉えおいるのである。そうだずすれば、「りェアラブル」のさらにその先には、人間の身䜓の䞭に「埋め蟌たれた(゚ンベッデド)」コンピュヌタヌやマむクロマシンの時代が埅っおいるだろう。



 情報タグがその䟋ずなるのではないかず想像しおいる。脳の䞀郚ずしお盎結しお凊理を分散させるのは、個人的には無理なのではないかず考えおいる。脳の自埋レベルずコンピュヌタの凊理胜力ずはかなりの隔たりがあり、実甚化するずしおも、甚途が限定されたものずなるだろう。それよりも、実甚化されそうなのが、情報タグであり、既に商品の管理やID管理などで䜿われおいお、䞀定の成果を収めおいる。぀たり、身䜓ずは、䞀定の距離を眮き぀぀、情報発信や情報凊理を行うデバむスであれば、かなり進展するのではないかず予想しおいる。


 岡田がいうには、




 よく雑誌なんかでは、これからの高床情報瀟䌚、マルチメディア瀟䌚では゜フトが倧切になる、゜フトを䜜るクリ゚ヌタヌを育おるべきだ、ずか曞かれおいるが、これは倧嘘だ。囜民みんなが小説家なんお囜があるはずがない。それより求められるのは、情報の䟡倀を決めおくれる人だ。䞭略実はそういう人こそこれからの情報瀟䌚、マルチメディア瀟䌚では必芁だし、自分が䜜りたいものを䜜るクリ゚むタヌたちより偉くなれるに決たっおいる。成熟した経枈瀟䌚においお、いちばん力を持っおいるのは、生産者・補造者ではなく流通だ。䞭略同じように、これからの情報瀟䌚においおは゜フト自䜓の䟡倀や品質を芋極め、ぎったり合うものを人びずのお手蚱に届けるこずができる人、頌りになる批評家であり、コヌディネむタヌたりうる人々、こういう人々がマルチメディア時代の最終勝者ずなりうるのだ。




ずのこずである。情報の䟡倀を決める、即ち、むンフル゚ンサヌずいう人々が、今埌の情報瀟䌚界での重芁なキヌを握っおいるように思う。


Posted by besus at 2005年10月22日 00:00 | TrackBack
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